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完結編・プロローグ(1) 『非情のプロデビュー戦 アンナvs越花』

 チャパロットです。前記事から告知した通り、今回から3回にかけて完結編へ至るプロローグをお送りしていきます。
まずは第1弾、城乃内 アンナと葉月 越花とのプロデビュー戦です。
注意としまして、今回は今までの倍に匹敵する文章量となりましたので読まれる際はご無理のなきようお願いします。

<拍手返信>
・匿名希望さま:
コメントありがとうございます。とりあえずは第1弾、アンナvs越花の試合の模様をお楽しみ下さい。梨佳子の件に関して、今後の登場予定は……残念ながら未定です。でも機会があれば積極的に出していきたいキャラだとは思ってますので、あまり期待し過ぎずお待ち頂ければ幸いです。








「すぅ…はぁ…すぅ…はぁ…」

控室で長椅子に座り、喧噪もそっちのけで深呼吸を繰り返す。俯き加減に下を向き、重力で頬にかかる髪すら気にしない。
刻一刻と近づいてくる自分の出番に比例して、湧き上がってくる高揚感を抑えるのに必死なのだ。

茶色に白で縁取り下にピンク色のアンダーを合わせたトップス
ピンクのサテン地に銀のベルト・サイドラインを入れたトランクス
紫に白でメーカーロゴをあしらったオーダーメイドのアディダス製シューズ
そして、インスペクターのチェックを終え試合が終わるまで封印を解く事の許されない、赤のウイニング製10ozグローブ

呼吸を整える最中、ライトを反射し光沢を放つ牛革のそれを見つめ、ふと「キレイだな」と思う。
と同時に、あと数10分後にはこれを振るい彼女と本気で殴り合うのだと思うと、何度深呼吸しても高揚感を抑えられないでいた。

何故なら、その相手はつい数ヵ月前まで自分と同じ高校で同じ女子ボクシング部に属し、共に苦楽を分かち合ってきた『仲間』であったから。

だが、ここまで来て気持ちを鈍らせる事もしない。これから迎えるデビュー戦に邪魔な感情を全部吐き出すように勢い良く立ち上がり、バスンッ! とグローブを大きく打ち鳴らす。
とほぼ同時に控室のドアが開けられ、一言が告げられた。

「葉月選手、準備してください」



 2013年、5月。神奈川県のある体育館を使用してのボクシング興業は、新鋭の吉川(よしかわ)ジムと再開した獅堂(しどう)ジムとの合同によって行われる。
その第4試合が、葉月 越花(はづき えつか)にとってのプロデビュー戦。
そして、城乃内(じょうのうち)アンナのプロデビュー戦でもあった。

初めての舞台ともあって緊張した面持ちでセコンド陣に囲まれ、花道を通る。リング下に用意された滑り止めの松ヤニが巻かれた箱へ、足を踏み入れ底に馴染ませていく。
カンカンと鉄製の階段を上がり、開かれたロープを潜り抜けると……まばゆいばかりに照らされたライトに目を細め闘いの舞台へ立ったのだと理解した。

「これがプロのリング……一足先にナミちゃんや白鷺(しらさぎ)さんが上がった舞台」

そしてこれから私たちが闘う舞台なんだ、とアンナは無人の赤コーナーへ心中複雑な視線を向けた。

オレンジ色を基調としたトップス
同じオレンジ色にベルト・サイドラインを白で縁取ったトランクス
黒に赤のメーカーロゴが入ったナイキ製ボクシングシューズ
そしてコーナーに合わせた、アンナの瞳に酷似した淡い青の10ozグローブ

それらを身に纏ったアンナは、プロボクサーになったのを機にこれまでのポニーテールから肩口までバッサリ切った豪奢な金髪をライトに照らし四方へ視線を向け、最終的にある一点を注視。

即ち、未だ無人の赤コーナーへ。

程なく、今度は赤コーナー側の花道へ観客の声援が集まっていく。
その声援の波を掻き分けるように花道を進み、越花がセコンド陣に挟まれ入場してきた。

アンナと同様に緊張した面持ちの越花は、リングインすると四方を見回し深呼吸をする。
ライトに照らされ紫色にも映る肩甲骨辺りまで伸びた綺麗な黒髪は、これまで見慣れた彼女のまま。
が、決意に引き締まり鋭く光を放つその瞳は、今までアンナが見た事もない厳しい顔だった。


絶対負けないから!!


全身から漂う雰囲気が、そう宣戦を布告してきたようでもあった。



 リング中央へ呼ばれ、レフェリーを挟んでかつての部活仲間同士が静かに火花をぶつける様子に、彼女らの仲間だった者たちは赤コーナー側の観客席で息を飲む。

「すげえ緊張感だな」

沈黙した空気を打ち払うように、ロンドンオリンピック金メダリストの高頭 柊(たかとう しゅう)が呟く。

「ええ。わたしも経験あるけど、あの緊張感はちょっと慣れないわね」

その隣に座る現役女子プロボクサー、彼女らの所属した光陵女子ボクシング部の初代主将だった下司(しもつかさ)ナミが同意する。
他にも桜 順子(さくら じゅんこ)、比我 秋奈(ひが あきな)、杉山 都亀(すぎやま とき)、中森 陽子(なかもり ようこ)、葉月 雪菜(はづき せつな)ら同女子ボクシング部に在籍していた顔ぶれが、一堂にリングへ視線を注いでいく。
また越花の彼氏で男子ボクシング部主将だった前野 裕也(まえの ゆうや)もリングサイド席に。

一方で青コーナー側へ視線を送れば知念 心(ちねん こころ)、東 久野(あずま ひさの)、白鷺 美智子(しらさぎ みちこ)、我聞 鉄平(がもん てっぺい)などアンナに関係の浅からぬ人物の姿が見て取れた。

そんな会場内、注目を引く2人は互いにグローブを軽く合わせそれぞれのコーナーへ下がっていく。
アンナには植木 四五郎(うえき しごろう)、越花には獅堂 孝次郎(しどう こうじろう)がチーフセコンドとして突き、試合前の指示を出す。そしてマウスピースを銜えさせると、2人はほぼ同時に振り向きコーナーへ背を向ける。
そして……



カァァァァンッ!!



運命の試合を開始するゴングの音が高らかに響き渡った。



 ポフッ、とリング中央で右と右のグローブを軽く合わせ、半歩引いた所でファイティングポーズを構える。
アンナ、越花共に右構えのオーソドックススタイル。違いがあるとすればアンナがやや前傾姿勢のクラウチングスタイルで、越花は背筋を伸ばしたアップライトスタイルである事か。



キュッ! キキュッ! 



静まるリング内を、2人のボクサーのキャンバスを蹴るシューズ音だけが派手に響く。

「はッ…はッ…はッ……」

重苦しくなる空気に、アンナも越花も自然と呼吸が乱れ始める。まだ1発のパンチも交換していないのに、どうしても手が出ない。

だが、リングの上でお見合いする為に軽量を経た訳ではない。気持ちを前面に引っ張り出し、越花は一歩踏み込んで左ジャブを繰り出した。

「シュッ!」

小さく息を吐き、放たれた左ジャブがパァンッ! と乾いた音を立てアンナの鼻っ柱に打ち込まれる。
まだ始まったばかりで動きが固いのか、アンナは避ける事もガードする事も出来ずオープニングヒットを許す。
或るいは写真や絵画の展示会を経験していた越花の方が、こういった観衆に囲まれた舞台に慣れていたのかも知れない。

「ぷぅッ」

鼻に鈍い衝撃が走り、眉を顰めるアンナ。
だがこの1発で身体の緊張がほぐれたのか、ようやく戦意にスイッチが入ったのか、アンナは負けじと左ジャブで応戦した。
しかし、これは越花の顔へ届く前にグローブに阻まれてしまう。

ここからしばらくはお互い左ジャブでの刺し合いが続いたが、リードブローの精度では越花に軍配が上がったらしい。
越花のパンチの方が多くヒットしていた。

「なにやってる!? 落ち着け城乃内!!」

青コーナーから植木の檄が飛ぶ。それに感化されたアンナは越花の放つジャブをダッキングでかわし、間髪入れず右ストレートをボディーへ打ち込んでいく。

「ぐッ」

くぐもった声を漏らし、衝撃で越花の肩甲骨辺りまで伸びた髪がファサッと跳ねる。しかし、すぐに鋭く目を光らせ左ジャブを3発、アンナの顔へ叩き込んだ。



カァァァァァンッ!



そこで第1ラウンド終了のゴングが鳴り、険しい表情のまま2人は互いに差し出した右のグローブを軽く当てそれぞれのコーナーへ引き揚げていく。
手数とヒット数で緒戦は越花がポイントを取った。



「結構打たれたな、城乃内」

リング内に入った植木がアンナをスツールに座らせるとマウスピースを引き抜き、まずは大きく深呼吸させる。

「すぅ…はぁ…越花ちゃん、すごい気迫……」

ジャブでの刺し合いでは及ばなかった。それはつまり中距離戦では分が悪いという事でもある。
ただ、これは技術云々より越花の気迫に圧された部分が強い。
元々この試合は越花が熱望して決まったカード。それだけに、試合前から越花の放つ気迫は今までに感じた事のないものだった。

「インファイトだ」

ふくらはぎをマッサージしながら、植木は短く言葉を発する。

「うん」

その短い一言で全てを察したアンナは、金髪を揺らし大きく頷いた。
クロスレンジ。アンナの最も得意な距離。
中距離で及ばない以上、遠距離も恐らく同じ結果となるだろう。
そもそも、アンナは遠距離での闘い方を殆ど知らない。
気迫の溢れた越花への活路は、どう考えても接近戦にしか見い出せなかった。

「よし、行って来い」

洗ったマウスピースを口に突っ込み、植木はロープを潜ってリングの外へ。ほぼ同時にスツールから立ち上がった越花に蒼の瞳を光らせると、第2ラウンド開始のゴングと同時にコーナーを飛び出した。



パァンッ! バクンッ!



 第2ラウンドに入り、1分が経過してもアンナは攻めあぐねていた。越花のジャブが徐々に鋭さを増し、アンナの前進を阻み続けていたのである。

「ぶッ! ふんぅッ!」

アンナの顔に、何発ものジャブが突き刺さっていく。元々腫れ易い体質のアンナの顔は早くも腫れが目立ち始め、口元には血すら滲んでいるのが見えた。

「くッ」

このままでは一方的に殴られるばかりと、アンナは強引に踏み込み左腕を振りかぶる。

(来たッ!!)

アンナが強引に入ってくるのを見て、してやったりと越花がほくそ笑む。そして、迎撃の為の左腕を鉤型に曲げ引く。
無理に突っ込んできたアンナの顎へ、この日の為に練習してきた迎撃の左ショートアッパー!
これが決まれば、いくらアンナといえど立ってはいられまい。

2人の左拳がそれぞれ弧を描いて軌跡を描く。
アンナの拳は越花のレバーへ
越花の拳はアンナのアゴへ

このまま行けば、誘い込んだ越花の思惑通りカウンターが成立しただろう。
が、越花はアンナのオフェンス能力を見誤った。



ズンッ!
ゴシャッ!



鈍いパンチの音が重なる。越花のショートアッパーはアンナのアゴを刈り、アンナのボディーフックは越花の脇腹を深々と抉っていた。

「がふッ」
「ぐぇッ」

口からマウスピースがはみ出し、唾液の珠が零れ落ちていく。
相打ちに持ち込まれた越花はたまらずその場でたたらを踏み、カウンターの衝撃でアンナは大きくバランスを崩して後ずさり膝を折る。
ノーダメージとはいかなかったが、膝を折るアンナの姿に越花はダウンを確信し……

「えッ!?」

すぐに凍った。
ダウンするかに見えたアンナは近くまで来ていたロープに精いっぱい手を伸ばし、引っ掴むと力任せに自分の身体をロープへ押し込みダウンを拒んだのだ。

「う、うそ……ぅっく」

アンナのしぶとさへの驚愕と同時、脇腹の鈍痛に眉を顰める越花。息を吐き、パンチを繰り出し腹筋の緩んだ所への打撃は、たった1発とはいえ実に効いた。

(相打ちで威力が落ちてなかったら私の方が立ってられなかったかも)

改めてアンナのパンチ力に戦慄を覚えるが、まだアドバンテージを覆される程ではない。
越花は短く深呼吸し体勢を整えると、慎重にアンナの出方を窺った。

(越花ちゃんが来ない……もしかしたらボディーが効いてる!?)

強引に押し込んだ身体をロープから離し、荒げた呼吸を整えつつ構え直すアンナに1つの疑問が浮かぶ。
でなければ、ダウン寸前だった自分への絶好の追い打ちチャンスを見逃す筈がない。

「行けえ、城乃内――ッ!」

青コーナーのエプロンサイドからも、植木のGOサインが聞こえる。
どうやらアンナと同じ考えらしく、越花のダメージは小さくないと判断したらしい。
チーフセコンドが同じ考えである以上、躊躇する理由はない。
アンナはマウスピースを噛み締め、身を屈めると地を這う猛禽の如くリングを疾走した。
越花はアップライトに構えたまま。
第2ラウンド残り10秒を告げる拍子木が鳴る。
獲物へ襲い掛かるべく左足をマットに踏み締めた瞬間、アンナはふと違和感を覚えた。
次の瞬間、その違和感は触感を伴いその身へ帰る。

「ッ!?」

踏み込んだ左のすねに、鈍い痛みが走ったのである。
試合中であるにも関わらず、アンナは痛みの正体を突き止めるべく下を向く。
そこには、越花の“右脚”があった。
マットを踏み締めた瞬間、アンナの左脚と越花の右脚とが激しく接触したのだ。
ぞくりと首筋に冷たい汗が流れる。瞬間、



グシャアッ!



上からの打ち下ろし、チョッピングの“左”ストレートがアンナの頬をしたたかに殴り付けた。

「ぶはぁッ!」

踏み込みに躊躇した所へ思い切りストレートを振り抜かれ、汗と唾液を撒き散らしアンナはマウスピースをはみ出させたまま身体をグラつかせる。
脚をもつれさせて踏ん張りの効いていない姿に、相当効いたのは誰の目にも明らか。
今度こそダウンか? と息を飲む中、



カァァァァァンッ!



第2ラウンド終了のゴングが鳴り、植木がロープを潜ると急いで倒れそうになる身体を抱き留めた。



「さっきの見た?」

 インターバルに入り、処置を受ける各コーナーの2人を見比べつつナミが隣の柊に聞く。

「ああ。越花のヤツ、相打ちの後さりげなくスイッチしてやがった。城乃内もあれで戸惑っちまったんだな」

普通、右構え同士ではよほどの密着でもない限り脚が接触するとは考えにくい。
しかし、右構えと左構えでは前に出した脚が違う為、クロスファイトの際に接触する機会が増える。
そして、越花はアンナが突進してくる事を恐らく見越した上で、敢えて右脚を前にするサウスポーへスイッチしわざと脚をぶつけたのだろう。
自分も痛いのを覚悟して、アンナの驚異的な突進を止めにかかった越花の気合いは、それだけでもこの試合に賭ける意気込みが伝わってくるというものだ。

だが……

「2度のカウンターでダウン取れなかったの、越花ちゃんにとってはきつかったかも」

ナミと柊との会話に、ひとつ後ろの席から雪菜が割り込んでくる。
その見解に2人は静かに頷くと、セコンドアウトのブザーが鳴り第3ラウンドが始まった。



 ナミ、柊、雪菜の見解、それに伴い抱いたある予感。それが現れたのは、試合も進んだ第5ラウンドでの事だった。
第3、第4ラウンドはお互いにパンチのヒットが増え始めるも特に進展はなし。
が、それはあくまで一般的な視点での事。
ここまでくると、3人だけでなく元・女子ボクシング部員ほぼその全員がこの先の事態に思い至っていた。

元々、越花がボクサーとしてアンナに勝っている部分は殆どない。
せいぜいディフェンステクニックぐらいのものではなかろうか。
しかし、これも越花が特に優れているというよりはアンナの方が及第点に至っていないという結果でしかない。
オフェンスはいうに及ばず、スタミナ、ハート、タフネス……ほぼ全ての面に於いてアンナの方が上回っていた。
少なくとも、部でお互い切磋琢磨していた頃はそういう評価だった。

部を卒業後、お互いの状態を見る事なくジムで過ごした時間は、それこそ約1ヵ月程度。
この日数で評価の差を埋めるのは、相当に努力しても難しかった事だろう。
それをあの手この手と知恵を絞り、優位に試合を進めてきた越花の努力は相当以上のものというべき。
それだけに、第2ラウンドでの2度のダウンチャンスを逃したのは不運というしかなかった。

「ぶふぅッ!」

アンナの右ボディーアッパーが、動きの鈍ってきた越花のお腹に突き刺さり多量の唾液が噴き出す。
お互いパンチのヒットが増え、その分スタミナを消耗していく。
ラウンドを重ねるうちにエンジンがフルスロットルとなり、まるで疲れ知らずのトレーラーの如く猛進を繰り返すアンナの火力に、越花は見る見るうちに疲労感を露わにしていった。

そして、均衡が崩れた第5ラウンド中盤。
越花の放った右ストレートをブロッキングで思い切り弾き、懐を取ったアンナは再び右ボディーアッパーのモーションへ。

「ごぶぅッ!」

唸りを上げて振り抜くボディーアッパーが越花の腹筋を貫くと、唇から唾液まみれのマウスピースがズルリと零れ落ちていく。
そして、大きく目を見開いたまま膝を折り、アンナの足元へ蹲るようにダウンした。

「ダウンッ!」

遂に崩れた越花の姿にレフェリーが割って入り、ダウンを宣告するとアンナにニュートラルコーナーへ下がるよう指示。
息を切らしたアンナが指示に従うと機械的にダウンカウントを取り始めた。



「ワン…ツー…スリー…」

 屈辱のダウンカウントが背中に降り注ぐのを耳にしながら、しかし越花は身体の芯が焼け付くような感触にただ耐えるばかり。
呼吸が上手く出来ず、自然と涙が滲み歪む視界に自分の吐き出したマウスピースが見える。
序盤こそ奇を突いて有利に進めていたはずのこの試合。
第2ラウンドに至っては2度もダウンチャンスがあった。
しかしアンナはどちらも拒み、それどころかエンジンが掛かると同時に一気に火力で不利を覆してきた。
結果として、地力で劣る越花は逆にダウンを喫してしまっている。

どれだけ足りない部分を技術で補っても、圧倒的な火力の前では全く無駄なのか?

そう思うと、屈辱感は募っていくばかりだった。

「決まった……わね」

順子が諦めたように呟く。有利に進めていた試合を引っくり返された挙句、ボディーブローでダウンさせられては、闘志も折られたに違いないと思った。
実際、順子の予想は大方当たっていた。
カウントが4を数えても起き上がろうとしない越花は、屈辱と呼吸難で顔を歪ませると同時に焼け付くような腹の衝撃で、今にも心が折れる寸前だったのだ。
そんな彼女へ、騒がしい会場内にひと際大きな声援が飛び込む。

「越っちゃん立てえええーーーーッ! 城乃内なんかに負けるなぁあぁああああーーーーーーッ!!」

その声援は赤コーナー側リングサイド席から。

越花の恋人、前野 裕也だった。

明らかに心が折れそうになっている彼女を見兼ね、席を立ち上がりあらんばかりの怒声を張り上げたのである。

「……ゆ、う…くん………」

お腹を抱え蹲ったまま、越花は滲む視界で裕也を見つけると歯を食いしばる。

まだ負けてない! このまま終わるなんて……イヤ!

折れる寸前だった闘志に活を入れ、越花は脚に力を込めていく。
お腹は抱えたまま、震える身体に鞭打って立ち上がり、カウント9でようやくファイティングポーズを構えると

「はぁ…はぁ…や、やれます……」

試合続行をアピールしてみせた。

「越花ちゃん……」

この展開に、今度はアンナが驚きを隠せない。
右拳には、グローブ越しに腹筋を貫いた感触が未だ残ったまま。
今までに何度も感じた、KOの感触だった。
しかし、眼前の優しい女の子はダメージで震える身体を必死に留め、まだ試合を諦めていない。

「ダメージはある、はず……一気に倒すよ!」

頬を伝う汗を拭い、アンナは「ボックス!」の指示が掛かるや一気呵成にニュートラルコーナーを飛び出した。



 試合が再開される。越花のダウンによって均衡の崩れた第5ラウンドは、終わるまでにまだ残り1分を残していた。
1度は決まったと思われた試合の再開に、会場内のボルテージは嫌が応にも最高潮へ向かっていく。

「分からなくなってきたわね。どっちが勝つと思う?」

裕也の一喝で完全に息を吹き返した越花は、ボディーブローでダウンを奪われたとは思えないキレの良さを見せアンナと対峙。
互角以上の殴り合いをしてみせていた。
誰もが予想していなかった越花の復活に、ナミは手に汗握る思いで観戦しながら隣の柊へつい問いかける。

「どっちが勝つかって?」

リングの激闘に目を離せない柊は、高揚感を抑えおうむ返しに言葉を紡ぐ。
他の者は皆、越花の逆転もあり得るかと試合に集中していて2人の会話は聞こえていない。

「そんなモン決まってんだろ」

アンナの右ストレートと越花の左フックが同時に炸裂し、汗と唾液がリングを舞う。
そして双方とも身体をグラつかせた所で第5ラウンドの終わりを告げるゴングの音。
試合は最終の第6ラウンドへ持ち越されると一息吐き、柊はようやくナミの問いに答えを示した。

「“強い方が勝つ”」

柊の返答に、ナミはキョトンとした表情を見せる。正直ズルい言い回しだが、ただ正論でもある。
下らない質問をしたと内心反省し、ナミは「そうね」とだけ答えると試合の成り行きを黙って見守る事にした。



 最終第6ラウンドが始まった。レフェリーに促されてリング中央でグローブタッチをかわし、アンナと越花はファイティングポーズを構える。

越花の顔はこの10分間で腫れが目立ち、アンナに至っては体質も手伝って輪郭が変わるほどの酷い腫れ上がりを見せていた。

「シッ!」

互いに疲労困憊のはずだが、どちらも負けたくないという一心でパンチを繰り出し、お互いを傷付けていく。
シューズの摩擦音と乾いた打撃音と呻き声がリング内に響き、汗や唾液や血が舞い上がりライトに照らされたそれらは七色の光を放つ。
もはやディフェンスに回すスタミナすら惜しんで攻撃へつぎ込み、越花は被弾してもひるまずパンチを打ち返す。
が……



ゴォッ!



第6ラウンド開始から約50秒。遂にスタミナの限界を迎えた越花は急激に動きが鈍る。
それを自覚した越花は、眉をしかめながらも気持ちだけは強く持ち右ストレートを繰り出す。
しかし気持ちだけでどうにかなるほど現実は甘くなく、越花がパンチを振り抜くより先にアンナの左アッパーがアゴを捉えていた。

「ごひゅッ」

アンナは躊躇なく左拳を天へ振り抜き、顔を上へ上げさせられた越花は大量の汗と唾液を撒き散らす。
ぼやけて見えるライトの光がやけに眩しく、不快感に顔を戻すと尚も左フックのモーションへ。
しかしこれも振り抜かれる事はなかった。
それより早く、アンナの右ストレートが越花の頬を醜く殴り潰したからだ。

「ぶほおッ!」

強烈なストレートが2度目のカウンターとなって顔に突き刺さり、衝撃でロングヘアーが派手に跳ねる。
そして、これが決着となるとどめの1発だった。

ソリッドパンチャーという、KOボクサー特有の質を持つアンナのパンチをカウンターで2発も貰って、同階級である限り立ってなどいられない。
越花は黒目を上擦らせマウスピースをはみ出させながらガクンと膝を折る。
そして、操り糸を鋭利なハサミで断ち切られた人形のように、力の抜け切った身体は派手な音を立てキャンバスに沈んでいった。

「ダウンッ!」

越花のダウンに、レフェリーが慌てて両者の間に割って入る。そしてアンナをニュートラルコーナーへ下がるよう指示すると、仰向けで大の字となった越花の顔を覗き込んだ。

「あ…ぅ……こふッ」

小さな呻き声を発する口の端から頬を伝う、泡混じりの唾液の筋。
ダウンした衝撃で外れたのだろう、顔のそばに転がる血の滲んだマウスピース。
汗で貼り付いた前髪の隙間から覗く白目を剥いた表情は、完全に失神してしまっている事を悟らせるに充分だった。

カウントを取る前に一度左のグローブを掴んでみる。されるがまま軽く持ち上げられた左腕は、ぐったりと弛緩しており力を感じさせない。
もはやこれ以上は無理と判断したレフェリーは、左手をそっとリングに置くと両腕を頭上で何度も交差。ノーカウントで試合を終了させた。



カンカンカンカンカンカーーン!!



激闘の幕を下ろす鐘の音が何度も打ち鳴らされ、豪快なKOに会場内が一気に湧き上がる。

「はぁ、はぁ、はぁ…か、勝った……の?」

ゴングと歓声とがうるさく鼓膜を叩くリング上、ニュートラルコーナーのアンナは試合が終わったと理解するのに少しの時間を要した。
そしてリング内に入ってきた植木に「よくやったな、城乃内」と声を掛けられ、ようやくアンナはパンパンに晴れた顔をほころばせていく。

激闘を制しての、プロ初勝利の瞬間。
それは同時に、友人の初黒星を意味する。

緊張が解けて一気に疲労感が全身を駆け巡るのを耐え、アンナは自分が殴り倒した相手の方を振り向いた。

「越花ちゃん!?」

植木にマウスピースを引き抜いて貰うや、アンナはリングに倒れたままの越花の元へ。
コミッションドクターとセコンド陣に囲まれ、アンナの視界に映るのは主に下半身。
そして、その下半身はびくびくと小刻みに波打っていた。
ダメージと疲労の限界から痙攣を起こしてしまっているらしい。

慌ただしく処置を受ける敗者の横に放り出された、テーピングの切られた赤のグローブと血の滲んだマウスピース、脱がされたシューズとがより物悲しさを連想させる。

「担架は? 来た、早く乗せて医務室に!!」

白目を剥いたまま痙攣まで起こしている越花の容体に、ドクターが大声で指示を飛ばす。
その様子をしばらく食い入るように見ていたアンナだが、レフェリーがふと右手を掴んで高々と掲げると、意識は自然と声援を送ってくれる観客の方へ。
四方を見回すうちに鉄平が、心が視界へ映ると、勝てた喜びを爆発させガッツポーズを取ってみせる。
その間に手早く担架に乗せられた越花は、セコンド陣と心配そうに席から立ち上がった裕也に付き添われ失神したままリングを降りていくのであった。



「ん………」

 ライトの眩しさに眉を顰め、越花はうっすらと目を開ける。まだ微睡む視界の端に、よく知る男性の姿を認めると弱々しい声を発した。

「ゆ、う……くん………?」

最愛の人を前に寝ていられないと起き上がろうとするが、それは優しく裕也に止められてしまう。

「駄目だ越っちゃん、まだ寝てなきゃ」

起こそうとした身体をそっと抑えられ、再び横たえた越花は少しの間天井を見つめる。

「負けた、んだね。私」

どれくらいの時が流れただろうか。一瞬とも永遠とも思える静寂の中、越花が再び口を開く。
噛み締めるように呟いた恋人の言葉に、声を詰まらせ裕也は未だバンデージを巻いたままの手をそっと握る。
汗で湿ったバンデージ越しの手を握りながら、裕也はただ「ああ」としか答えられなかった。

「そっか……ねえ裕くん。私、どうやって負けたの?」

途中から記憶がないの、と今にも泣き出しそうな震える声で裕也に迫る越花。

「最終ラウンド、確か1分いってなかったと思う。連続でカウンターを貰って、そのまま……」

そこから先は言葉にならない。否、出来そうにない。
自分の彼女が観衆の面前で失神姿を晒し、デビュー戦なのに担架で退場を強いられてしまったのを宣告するなど、彼には到底耐えられそうになかった。

が、その沈黙は逆に越花に真相を悟らせる結果となってしまう。

「…………裕くん。ゴメン、ちょっと1人にして……お願い。ゴメン…ゴメン」

震える声でゴメンと繰り返し、身体を覆っていたタオルで顔を覆う越花。そして押し殺すような嗚咽を上げ始めると裕也はいたたまれなくなって医務室から無言で出て行った。

「うぅ、んふぅっ…ぐすっ……アンナちゃんに勝てなかった。えぐっ…勝ちたかった……うう」

被ったタオルで真っ暗な中、泣きじゃくりながらふと裕也の言葉が反芻される。


連続でカウンターを貰って、そのまま……


意識を飛ばされたのは、連続で食らったカウンターによって。
自分も2ラウンドで2回カウンターを決めた。
でも、アンナはダウンしなかった。

「残酷だよ……酷過ぎるよ、こんなの」

同等のカウンターを決めて思い知らされた優劣の差。
即ち、自分とアンナとのパンチの差。
どれだけ技術を駆使しても、策が功を奏しても、結局はパンチの差ひとつで負けた。

あまりに無情なこの現実に、越花は誰に向けるでもなく呪詛のような言葉を繰り返す。
そして悔しさを噛み締め、ある決意を固めた。





 元・光陵女子ボクシング部員同士によるプロデビュー戦が終わって5日が経った。
ダウンこそしなかったものの相当に殴られたアンナは、試合の翌日に精密検査の後で高熱を出し、2日間を自宅で静養。
植木に1週間はジムに来る事も練習する事も禁止ときつく言い渡されていた為、自分を「お姉さま」と慕う後輩の室町 晶(むろまち あきら)でも誘って遊びに行こうかと思ったのだが、こういう時に限って晶の方の都合が合わない。
心もプロトレーナーになる為の勉強の追い込みをしている為、とにかく暇を持て余す毎日だった。

「はぁ~、暇だなあ」

ベッドに寝っ転がり、天井を見やりながらアンナは越花との試合を思い出す。
一言でいうなら、「とってもしんどい試合」だった。

とにかく神経をすり減らす時間の連続だったと言って良い。

鋭く突き刺さる左ジャブ
突然繰り出されるフリッカージャブ
踏み込んだ所を狙い打たれたカウンター
そして、世にも稀な両手利きを最大限に活かした変幻自在のスイッチ

「ホントよく勝てたと思う……」

お世辞でもなく、越花は強くなっていた。芯に残るようなパンチこそ少なかったが、2ラウンドでの2発のカウンターは正直ダウンも覚悟した。
あれを踏ん張れたのは、半分は運だと今でも思う。

スタミナの続く限りがむしゃらにパンチを繰り出し続け、強引にガチャガチャの打ち合いへ持ち込んでのKO勝ち。
デビュー戦としても、反省すべき内容ばかりの目立つ試合と言わざるを得ない。

「私もまだまだ強くならなきゃ」

そう呟くとアンナは天井へ右手をかざし、開いた拳を握り締めた。



数日後。ようやくジムへ顔を出したアンナは、高校時代の同級生で今は吉川ジムで事務員を務める間島 竜一(まじま りゅういち)から衝撃的なニュースを聞いた。

「え。うそ……?」

白い顔が次第に青褪めていくのを竜一は見逃さなかったが、敢えて機械的に事実だけを伝えた。

「雪菜伝いの情報だ、間違いない。葉月 越花は前野と別れて獅堂ジムを辞めた」





                                    ~~fin~~
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Author:チャパロット
基本的に携帯サイトで書かせて頂いているもののリメイク(?)ですが、ちょくちょく文を変更してたりします(あと拙いですが自作絵なども)。
何かある方は、ckcwb305あっとまーくsutv.zaq.ne.jpにご連絡下さい。

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