2011.02.24(Thu)
光陵高校女子ボクシング部・別話 【不器用な告白】
【不器用な告白】をお送りします。今回の主役は男子ボクシング部主将、桃生 誠。時間軸としては『光陵高校女子ボクシング部』、第17話と18話の間となるでしょうか。
初めて一人称視点で書いてみたので、上手く書けなくて苦労しました……ちなみにボクシング描写は一切ありませんので、そちらを期待された方はごめんなさい(汗)
初めて一人称視点で書いてみたので、上手く書けなくて苦労しました……ちなみにボクシング描写は一切ありませんので、そちらを期待された方はごめんなさい(汗)
2010年、5月。俺は、生まれて初めて女と本気の殴り合いというものをした。喧嘩ではない。歴としたボクシングの試合で、だ。
まあ非公式な試合ではあったのだが……彼女は女だてらに男女入り混じる空手部の主将を務めており、その強さは全国に知れ渡るものだった。
が、所詮は女。男と比べその骨格や筋肉はおよそ殴り合いには適さない。試合すると決まった時、念を入れてトレーニングには励んだが……正直な所、苦戦するなど有り得ないと踏んでいた。
ところが、だ。いざ蓋を開けてみれば結果は引き分け。自慢に聞こえるかも知れないが、俺も高校ボクシングでは全国にその名を知られる程度には実力がある。
幾ら空手で全国レベルの猛者といえど、本来の畑とは違うボクシングというルール下で、その女は俺を追い詰めてみせたのだ。
東 久野(あずま ひさの)
この俺……桃生 誠(ものう まこと)が尊敬の念を抱いた、3人目の女性だった。
1人目は、俺を生んでくれた母だ。今更語るまでもない。
2人目は、高校に入ってボクシング部のマネージャーとして入部してきた同級生。こいつがまた大変な変人だったのだが、仕事をこなす姿は他のマネージャー達より飛び抜けていた。
そして、東 久野。
俺より一学年上の彼女と試合する事になった経緯はどういったものだっただろうか? 確か、俺達ボクシング部が幅を効かせている事に常々反発しており、折りしも女子ボクシング部を作りたいと言ってきた下級生が、助っ人として彼女を招聘したのだったか。
彼女にしてみれば、正に渡りに舟だったのかも知れん。
今まで女がボクシングする事には反対の姿勢を貫いてきたのだが、これを機に俺の考えは少し変わった。
それと同時に、俺の中で東 久野の存在は急速に大きなものへとなっていった。トレーニング中でも、授業中でも、寝ようとする時にすら、彼女の姿が網膜に焼き付いたかのように離れない。ここまで来ては、もう認めない訳にはいかないだろう。
俺は、彼女に惚れてしまったようだ。
思えば、気の強さを象徴するような切れ長の長い目つきや、スポーツをするには不釣り合いな腰まである長い髪。絵に描いたような好みのタイプだ。
断言してもいい、俺が女に惚れたのは初めての事だ。女など周りでキャーキャー喚くだけの、うるさくて扱いにくいもの……そんなイメージしかなかった。
だが、そんなものは何も知らない独りよがりの先入観でしかなかったのだ。
「ふう。参ったな」
日曜日の夕方。部屋で机に向かい予習をしていた俺は、どうにも手につかずシャーペンを放り出した。まただ。また東先輩の顔が浮かんでは消え、俺の思考を掻き乱す。
このままでは、やる事全てに支障が出てしまう。こうなったら……俺は部屋を出て、隣の部屋へと向かった。そうして俺は2つ下の妹、詩織(しおり)の部屋をノックする。
女の事は女に聞いた方が確実、と俺の中の直感が囁いたのだ。正に餅は餅屋、というやつだな。
「詩織、いるか?」
コンコン、とドアを叩いて少しすると、妹は少しだけ顔を覗かせてきた。
「なにか用? 兄さん」
部屋の中を見られたくないのだろう、詩織は最低限の広さだけドアを開け俺を見上げる。ここ最近になって思った事だが、どうにもこいつには好かれていないらしい。
どこの家の妹もこんな感じなのだろうか?
とりあえず女子に喜ばれるプレゼントはどんなものなのか、本題はオブラートに包みつつ聞いてみた。
「ん~~……普通に香水なんてどう? 匂いの薄いのなら気にならないと思うし」
あれこれ悩んだ挙句、詩織の導き出した答えは香水。女の好みに理解のない俺としては、情けない限りと知りつつこいつに頼る以外の術を持たない。
適当な銘柄の商品を聞くと詩織に礼を述べ、俺は急ぎ家を飛び出した。
閉店間近に辛うじて詩織から聞いた店へ入り、目的の香水を手に取りレジへ向かう。周りは当然ながら女性客ばかりだったが、こんな程度の視線は試合の時の観客に比べればどうという事もない。
「すまんが、ラッピングしてくれ」
ついいつもの癖で、尊大な物言いをしてしまう。だが、その店員は相当に懐の広い人物だったようだ。クスクス笑いながらも慣れた手つきでラッピングしてくれた。
それとも、全力で走って少し呼吸が乱れたままの俺がおかしかったのだろうか……或いは、恋人へのプレゼントを慌てて買いに来た慌て者と取られたのかも知れん。
どちらにせよ、ラッピングしてくれるなら問題は何もない。綺麗に包装された香水の小瓶の入った小箱を片手に、俺は暗くなった道を帰る。
その際、正面から見覚えのある顔がこちらを見ていた。
ある意味、1番会いたくなかった相手だ。
「あら。珍しいわね、桃生くん。こんなお店に用事?」
大内山 由起(おおうちやま ゆき)。元・男子ボクシング部マネージャーで、現・女子ボクシング部マネージャー兼トレーナー。
こいつはやばい。背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、だがそれを悟られないよう必死に隠し
「ああ、野暮用でな」
とだけ告げると、足早にこいつの元から離れる。この同級生、如何せん噂話の類に目がなく勘も鋭い。俺の心の中を読まれたが最後、容赦なく噂のネタにされる事だろう。
だが、俺はこの女を過小評価していたらしい。
通り過ぎざま、大内山は背筋の冷や汗が瞬間凍結するような一言をぶつけてきた。
「誰かにプレゼントかしら。さしずめ、東先輩辺り……とか?」
思わず振り返る。そこには、一瞬驚いた後にんまりと嫌らしいにやけ顔で俺を見る悪魔の姿。しまったと後悔するも、もはや後の祭り。
どうやら、俺は上手い具合にカマをかけられたらしい。
「………取引といかんか? 大内山」
観念した俺は、この厄介な女に折衷案を提案する事にした。本来このような手に訴えるのは矜持の許さない所だが、この際背に腹は変えられない。
「そうね。なら……」
結局、大内山の口封じの代償として俺は
男子ボクシング部室を2日に1回の割合で、まだ部室を持たない女子ボクシング部の連中に貸し出す
という誓約を誓わされてしまった。
不本意な要求を飲まされた翌朝。俺はけたたましく鳴る携帯電話の音で目が覚めた。告白するなら明日とあれこれプランを練っていて、寝付いたのは何時頃だったか。
かなり遅かったのだけは記憶している。そんな事より、今は電話に出る方が先だな。ディスプレイを見れば、そこには『浜崎』の文字。男子ボクシング部の副主将だ。
「俺だ。どうし……」
「おはよう、桃生。近くに時計はあるか? ちょっと愉快な事になってるぞ」
俺の言葉を、浜崎の声が上書きする。とりあえず浜崎の言に従って枕元の目覚まし時計に目をやると、もう朝の6時を大きく回ってしまっていた。
朝練の開始時間は午前6時。どれだけ急ごうが、もう遅刻は免れない。だが、それでも主将としての面子というものもある。
俺は大急ぎでベッドから飛び起き、緋色のボクシング部ジャージを羽織ると鞄を片手に家を飛び出した。
昨日買って、今日渡すつもりだった香水の小箱を忘れて……
その後部員達に慰められ、俺は何ともバツの悪い朝練を過ごす羽目となった。やはり、東先輩への恋情は実生活にすら支障を来たしてきている。
こんな事が続くようであれば、先の大会などにも悪影響が出ないとも限らない……いや、絶対に出る! だから、何としても今日のうちに告白をする!!
出来る事を先延ばしにしてウジウジ悩むなど、俺の性には合わん。なら、告白して彼女のリアクションを確かめた方がいいに決まっている。
もし受けてくれたなら、それは勿論嬉しい。フラれてしまったとしても、それはそれで踏ん切りがつくというものだ。
朝練の後教室に入り、机の上で鞄を開く。
……ない。
(そんな馬鹿な!?)
狼狽してしまい、鞄の中を何度も何度も探る。が、どうしても小箱が見当たらなかった。そんな俺の下へ例の大内山が現れ、
「今日のお昼休み、ボクシング部の裏手に東先輩を呼び出しておいてあげたから。成果を期待してるわ」
などと実にお節介の押し付けをしてくれた。
「なッ!? 貴様、余計な事を……」
この女の無神経さに腹が立ち、俺はつい手を伸ばそうとして……すんでの所で踏み止まれた。恐らく、こいつなりに気を回しただけなのだろう。
案外、キューピッドの役でもやるつもりだったのかも知れんな。
「何か……まずい事しちゃった、かしら?」
普段見せた事のない俺の形相に、恐る恐る訊ねてくる大内山。その表情を見て冷静さを取り戻した俺は「いや」と席に着く。気恥ずかしさで視線を外した上で、
「今度なにか奢ってやる」
今俺に言える最大の謝辞を言ってやった。
大内山が言うには、昼休みにボクシング部の裏手に東先輩を呼び出した、という事だった。俺から話があるから、とさり気なく言ってしまっている辺り、さて吉と出るか凶と出るか。
結局午前中の授業内容などまともに入る訳もなく、その間ずっと考えていたのは家に着くまでの最短距離はどう通ればいいか? というものだった。
冷静になって考えたら、小箱を鞄に入れた記憶がない。ならば、恐らく家に置いてきたままなのだろう。俺は、昼休みの内に取りに帰る決心を固めた。
キーンコーン……
4時限目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。ここぞとばかりに俺は教室を文字通り飛び出し、そのまま校舎をも飛び出す。そして、全速力で家へと走った。
もしかしたら、俺は陸上走者としての才能もあるのかも知れない。普段なら徒歩で40分ぐらいの道程を、僅か10分かそこらで走り切ってみせた。
腕時計を見れば、まだ昼休みの最中だ。ポケットをまさぐり家の鍵を開け、部屋に雪崩れ込む。
あった!
やはり小箱は置きっぱなしにしていたのだ。よし! と妙に気合いの入った声と共に小箱を引っ掴み、今来た道を再び全速力で引き返す。
「ハァ、ハァッ、ッハァ!」
幾ら普段走り込んでいるといえど、さすがに余力も考えない全力疾走を続けたせいか息が荒くなってきた。チラッと時計を見る。もう残り30分を切ってしまっている。
もしかしたら、もう怒って教室に帰ってしまっているかもな。だが、まだ待ってくれている可能性もある。後者であって欲しいとただひたすら願い、俺は全力疾走を続けた。
学校の正門を潜り抜ける。もうすぐボクシング部に………いた!!
ダッ!
東先輩の前に走り寄り、俺はようやくその身体を苦痛から解放する。顔は下を向き、両手を両膝の上に乗せた状態で荒々しく酸素を補給する。
上下に揺れる身体からは汗が噴き出し、シャツを貼り付かせていく。
不快感が全身を覆う。だが、今はそれ以上の歓喜で包まれているのを感じた。
「桃生、くん? どうしたの、そんな汗びっしょりで」
長い髪を靡かせ、東先輩は俺の様子に驚きを隠せないでいる。それもそうか、何せ呼び出しておいて一向に現れず、ようやく来たかと思えば息を切らして汗だくになっているのだ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ………すみません、遅く、ッハァ…なりました」
暫し酸素の供給に専念し、ようやく落ち着いてきた所で顔を上げ謝る。
「それは別に構わないけれど……とにかく座りなさい」
そう言って、東先輩は俺を近くの石段に座らせてくれた。いざ試合の時は『鬼東』の異名に違わぬ形相を見せるのが、今はこんなに優しく気遣いに溢れた表情を俺に向けてくれている。
恐らく、この時の表情で俺は完全に陥落したのだと思う。その証拠に、俺の鼓動は一層激しく脈打っている。全力で走り続けた後の動悸などでは、決してない!
「で、用事ってなにかしら?」
呼吸が落ち着いてきたのを見計らって、東先輩が俺に呼び出しの理由を聞いてきた。両腕を、手のひらで肘を支えるように組み凛としたこの姿勢は、彼女の美しさをより引き立てているように思う。
俺は腰掛けていた石段から立ち上がり、東先輩と向かい合った。
「その、今までクラブ間の対立で空手部……貴女とかち合った事も決して少なくない訳で、厳しい意見も数多く言ってきた」
いざ正面から向き合うと、どういう訳か言いたい事からかけ離れた言葉ばかりが次々と飛び出してしまう。
「いや! こんな事を言いたいのではなく、つまり俺は……」
頭を振る。情けない。あれだけ悶々としていた癖に、告白すると決めた癖に、いざ本人を前にした途端肝心な一言が出ないとは!
「……ふぅ、結局なにが言いたいの? 貴方らしくもない歯切れの悪さね。言いたい事があるのなら、はっきり言いなさいッ!」
煮え切らない俺の態度に苛立ったのか、東先輩の喝が全身を揺さぶる。ビリビリと肌に伝わる、張り詰めた空気。浮き足立った俺の神経が、この喝で次第に落ち着いていくのが分かる。
さすが空手部の主将と、この時改めて尊敬の念を抱いた。そして、
「貴女が好きだ。俺と付き合って欲しい。もし付き合っていいなら、これを受け取ってくれ」
自分でも信じられないぐらい滑らかに、愛の告白が俺の口から紡がれていく。
そうして、右手で差し出した小箱は、全力で走ってきた時の手の汗で少し湿ってしまっている。正直みっともなかったが、これも事前に忘れてしまった愚かさの代償なのだろう。
というか、きっと今でも緊張していて絶えず滲み出しているのだろうな。
暫しの沈黙。俺はこの沈黙に耐え兼ね、思わず目を閉じてしまった。まさか、愛の告白というのがこんなに怖いものだったとは、夢にも思わなかった。
今まで、失恋で落ち込んでいる人間を傍で内心小馬鹿にしていたものだったが、どうやら改めなければならんな……
すまん、柳澤。
どのくらい待っただろうか。結構な時間を待った気もするし、案外経っていないのかも知れない。今目を開けたら、呆れてもういなくなっているのでは? と思ったその時、空気が流れた気がして俺は目を開けた。
小箱を持った右手にしなやかな指が添えられ、その髪からふわりとした匂いが鼻をくすぐってくる。そして、俺の唇に言い知れぬ柔らかいものが、そっと重ね合わされたのだった。
「はい。私でよければ……これからよろしくお願いします」
~~fin~~
まあ非公式な試合ではあったのだが……彼女は女だてらに男女入り混じる空手部の主将を務めており、その強さは全国に知れ渡るものだった。
が、所詮は女。男と比べその骨格や筋肉はおよそ殴り合いには適さない。試合すると決まった時、念を入れてトレーニングには励んだが……正直な所、苦戦するなど有り得ないと踏んでいた。
ところが、だ。いざ蓋を開けてみれば結果は引き分け。自慢に聞こえるかも知れないが、俺も高校ボクシングでは全国にその名を知られる程度には実力がある。
幾ら空手で全国レベルの猛者といえど、本来の畑とは違うボクシングというルール下で、その女は俺を追い詰めてみせたのだ。
東 久野(あずま ひさの)
この俺……桃生 誠(ものう まこと)が尊敬の念を抱いた、3人目の女性だった。
1人目は、俺を生んでくれた母だ。今更語るまでもない。
2人目は、高校に入ってボクシング部のマネージャーとして入部してきた同級生。こいつがまた大変な変人だったのだが、仕事をこなす姿は他のマネージャー達より飛び抜けていた。
そして、東 久野。
俺より一学年上の彼女と試合する事になった経緯はどういったものだっただろうか? 確か、俺達ボクシング部が幅を効かせている事に常々反発しており、折りしも女子ボクシング部を作りたいと言ってきた下級生が、助っ人として彼女を招聘したのだったか。
彼女にしてみれば、正に渡りに舟だったのかも知れん。
今まで女がボクシングする事には反対の姿勢を貫いてきたのだが、これを機に俺の考えは少し変わった。
それと同時に、俺の中で東 久野の存在は急速に大きなものへとなっていった。トレーニング中でも、授業中でも、寝ようとする時にすら、彼女の姿が網膜に焼き付いたかのように離れない。ここまで来ては、もう認めない訳にはいかないだろう。
俺は、彼女に惚れてしまったようだ。
思えば、気の強さを象徴するような切れ長の長い目つきや、スポーツをするには不釣り合いな腰まである長い髪。絵に描いたような好みのタイプだ。
断言してもいい、俺が女に惚れたのは初めての事だ。女など周りでキャーキャー喚くだけの、うるさくて扱いにくいもの……そんなイメージしかなかった。
だが、そんなものは何も知らない独りよがりの先入観でしかなかったのだ。
「ふう。参ったな」
日曜日の夕方。部屋で机に向かい予習をしていた俺は、どうにも手につかずシャーペンを放り出した。まただ。また東先輩の顔が浮かんでは消え、俺の思考を掻き乱す。
このままでは、やる事全てに支障が出てしまう。こうなったら……俺は部屋を出て、隣の部屋へと向かった。そうして俺は2つ下の妹、詩織(しおり)の部屋をノックする。
女の事は女に聞いた方が確実、と俺の中の直感が囁いたのだ。正に餅は餅屋、というやつだな。
「詩織、いるか?」
コンコン、とドアを叩いて少しすると、妹は少しだけ顔を覗かせてきた。
「なにか用? 兄さん」
部屋の中を見られたくないのだろう、詩織は最低限の広さだけドアを開け俺を見上げる。ここ最近になって思った事だが、どうにもこいつには好かれていないらしい。
どこの家の妹もこんな感じなのだろうか?
とりあえず女子に喜ばれるプレゼントはどんなものなのか、本題はオブラートに包みつつ聞いてみた。
「ん~~……普通に香水なんてどう? 匂いの薄いのなら気にならないと思うし」
あれこれ悩んだ挙句、詩織の導き出した答えは香水。女の好みに理解のない俺としては、情けない限りと知りつつこいつに頼る以外の術を持たない。
適当な銘柄の商品を聞くと詩織に礼を述べ、俺は急ぎ家を飛び出した。
閉店間近に辛うじて詩織から聞いた店へ入り、目的の香水を手に取りレジへ向かう。周りは当然ながら女性客ばかりだったが、こんな程度の視線は試合の時の観客に比べればどうという事もない。
「すまんが、ラッピングしてくれ」
ついいつもの癖で、尊大な物言いをしてしまう。だが、その店員は相当に懐の広い人物だったようだ。クスクス笑いながらも慣れた手つきでラッピングしてくれた。
それとも、全力で走って少し呼吸が乱れたままの俺がおかしかったのだろうか……或いは、恋人へのプレゼントを慌てて買いに来た慌て者と取られたのかも知れん。
どちらにせよ、ラッピングしてくれるなら問題は何もない。綺麗に包装された香水の小瓶の入った小箱を片手に、俺は暗くなった道を帰る。
その際、正面から見覚えのある顔がこちらを見ていた。
ある意味、1番会いたくなかった相手だ。
「あら。珍しいわね、桃生くん。こんなお店に用事?」
大内山 由起(おおうちやま ゆき)。元・男子ボクシング部マネージャーで、現・女子ボクシング部マネージャー兼トレーナー。
こいつはやばい。背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、だがそれを悟られないよう必死に隠し
「ああ、野暮用でな」
とだけ告げると、足早にこいつの元から離れる。この同級生、如何せん噂話の類に目がなく勘も鋭い。俺の心の中を読まれたが最後、容赦なく噂のネタにされる事だろう。
だが、俺はこの女を過小評価していたらしい。
通り過ぎざま、大内山は背筋の冷や汗が瞬間凍結するような一言をぶつけてきた。
「誰かにプレゼントかしら。さしずめ、東先輩辺り……とか?」
思わず振り返る。そこには、一瞬驚いた後にんまりと嫌らしいにやけ顔で俺を見る悪魔の姿。しまったと後悔するも、もはや後の祭り。
どうやら、俺は上手い具合にカマをかけられたらしい。
「………取引といかんか? 大内山」
観念した俺は、この厄介な女に折衷案を提案する事にした。本来このような手に訴えるのは矜持の許さない所だが、この際背に腹は変えられない。
「そうね。なら……」
結局、大内山の口封じの代償として俺は
男子ボクシング部室を2日に1回の割合で、まだ部室を持たない女子ボクシング部の連中に貸し出す
という誓約を誓わされてしまった。
不本意な要求を飲まされた翌朝。俺はけたたましく鳴る携帯電話の音で目が覚めた。告白するなら明日とあれこれプランを練っていて、寝付いたのは何時頃だったか。
かなり遅かったのだけは記憶している。そんな事より、今は電話に出る方が先だな。ディスプレイを見れば、そこには『浜崎』の文字。男子ボクシング部の副主将だ。
「俺だ。どうし……」
「おはよう、桃生。近くに時計はあるか? ちょっと愉快な事になってるぞ」
俺の言葉を、浜崎の声が上書きする。とりあえず浜崎の言に従って枕元の目覚まし時計に目をやると、もう朝の6時を大きく回ってしまっていた。
朝練の開始時間は午前6時。どれだけ急ごうが、もう遅刻は免れない。だが、それでも主将としての面子というものもある。
俺は大急ぎでベッドから飛び起き、緋色のボクシング部ジャージを羽織ると鞄を片手に家を飛び出した。
昨日買って、今日渡すつもりだった香水の小箱を忘れて……
その後部員達に慰められ、俺は何ともバツの悪い朝練を過ごす羽目となった。やはり、東先輩への恋情は実生活にすら支障を来たしてきている。
こんな事が続くようであれば、先の大会などにも悪影響が出ないとも限らない……いや、絶対に出る! だから、何としても今日のうちに告白をする!!
出来る事を先延ばしにしてウジウジ悩むなど、俺の性には合わん。なら、告白して彼女のリアクションを確かめた方がいいに決まっている。
もし受けてくれたなら、それは勿論嬉しい。フラれてしまったとしても、それはそれで踏ん切りがつくというものだ。
朝練の後教室に入り、机の上で鞄を開く。
……ない。
(そんな馬鹿な!?)
狼狽してしまい、鞄の中を何度も何度も探る。が、どうしても小箱が見当たらなかった。そんな俺の下へ例の大内山が現れ、
「今日のお昼休み、ボクシング部の裏手に東先輩を呼び出しておいてあげたから。成果を期待してるわ」
などと実にお節介の押し付けをしてくれた。
「なッ!? 貴様、余計な事を……」
この女の無神経さに腹が立ち、俺はつい手を伸ばそうとして……すんでの所で踏み止まれた。恐らく、こいつなりに気を回しただけなのだろう。
案外、キューピッドの役でもやるつもりだったのかも知れんな。
「何か……まずい事しちゃった、かしら?」
普段見せた事のない俺の形相に、恐る恐る訊ねてくる大内山。その表情を見て冷静さを取り戻した俺は「いや」と席に着く。気恥ずかしさで視線を外した上で、
「今度なにか奢ってやる」
今俺に言える最大の謝辞を言ってやった。
大内山が言うには、昼休みにボクシング部の裏手に東先輩を呼び出した、という事だった。俺から話があるから、とさり気なく言ってしまっている辺り、さて吉と出るか凶と出るか。
結局午前中の授業内容などまともに入る訳もなく、その間ずっと考えていたのは家に着くまでの最短距離はどう通ればいいか? というものだった。
冷静になって考えたら、小箱を鞄に入れた記憶がない。ならば、恐らく家に置いてきたままなのだろう。俺は、昼休みの内に取りに帰る決心を固めた。
キーンコーン……
4時限目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。ここぞとばかりに俺は教室を文字通り飛び出し、そのまま校舎をも飛び出す。そして、全速力で家へと走った。
もしかしたら、俺は陸上走者としての才能もあるのかも知れない。普段なら徒歩で40分ぐらいの道程を、僅か10分かそこらで走り切ってみせた。
腕時計を見れば、まだ昼休みの最中だ。ポケットをまさぐり家の鍵を開け、部屋に雪崩れ込む。
あった!
やはり小箱は置きっぱなしにしていたのだ。よし! と妙に気合いの入った声と共に小箱を引っ掴み、今来た道を再び全速力で引き返す。
「ハァ、ハァッ、ッハァ!」
幾ら普段走り込んでいるといえど、さすがに余力も考えない全力疾走を続けたせいか息が荒くなってきた。チラッと時計を見る。もう残り30分を切ってしまっている。
もしかしたら、もう怒って教室に帰ってしまっているかもな。だが、まだ待ってくれている可能性もある。後者であって欲しいとただひたすら願い、俺は全力疾走を続けた。
学校の正門を潜り抜ける。もうすぐボクシング部に………いた!!
ダッ!
東先輩の前に走り寄り、俺はようやくその身体を苦痛から解放する。顔は下を向き、両手を両膝の上に乗せた状態で荒々しく酸素を補給する。
上下に揺れる身体からは汗が噴き出し、シャツを貼り付かせていく。
不快感が全身を覆う。だが、今はそれ以上の歓喜で包まれているのを感じた。
「桃生、くん? どうしたの、そんな汗びっしょりで」
長い髪を靡かせ、東先輩は俺の様子に驚きを隠せないでいる。それもそうか、何せ呼び出しておいて一向に現れず、ようやく来たかと思えば息を切らして汗だくになっているのだ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ………すみません、遅く、ッハァ…なりました」
暫し酸素の供給に専念し、ようやく落ち着いてきた所で顔を上げ謝る。
「それは別に構わないけれど……とにかく座りなさい」
そう言って、東先輩は俺を近くの石段に座らせてくれた。いざ試合の時は『鬼東』の異名に違わぬ形相を見せるのが、今はこんなに優しく気遣いに溢れた表情を俺に向けてくれている。
恐らく、この時の表情で俺は完全に陥落したのだと思う。その証拠に、俺の鼓動は一層激しく脈打っている。全力で走り続けた後の動悸などでは、決してない!
「で、用事ってなにかしら?」
呼吸が落ち着いてきたのを見計らって、東先輩が俺に呼び出しの理由を聞いてきた。両腕を、手のひらで肘を支えるように組み凛としたこの姿勢は、彼女の美しさをより引き立てているように思う。
俺は腰掛けていた石段から立ち上がり、東先輩と向かい合った。
「その、今までクラブ間の対立で空手部……貴女とかち合った事も決して少なくない訳で、厳しい意見も数多く言ってきた」
いざ正面から向き合うと、どういう訳か言いたい事からかけ離れた言葉ばかりが次々と飛び出してしまう。
「いや! こんな事を言いたいのではなく、つまり俺は……」
頭を振る。情けない。あれだけ悶々としていた癖に、告白すると決めた癖に、いざ本人を前にした途端肝心な一言が出ないとは!
「……ふぅ、結局なにが言いたいの? 貴方らしくもない歯切れの悪さね。言いたい事があるのなら、はっきり言いなさいッ!」
煮え切らない俺の態度に苛立ったのか、東先輩の喝が全身を揺さぶる。ビリビリと肌に伝わる、張り詰めた空気。浮き足立った俺の神経が、この喝で次第に落ち着いていくのが分かる。
さすが空手部の主将と、この時改めて尊敬の念を抱いた。そして、
「貴女が好きだ。俺と付き合って欲しい。もし付き合っていいなら、これを受け取ってくれ」
自分でも信じられないぐらい滑らかに、愛の告白が俺の口から紡がれていく。
そうして、右手で差し出した小箱は、全力で走ってきた時の手の汗で少し湿ってしまっている。正直みっともなかったが、これも事前に忘れてしまった愚かさの代償なのだろう。
というか、きっと今でも緊張していて絶えず滲み出しているのだろうな。
暫しの沈黙。俺はこの沈黙に耐え兼ね、思わず目を閉じてしまった。まさか、愛の告白というのがこんなに怖いものだったとは、夢にも思わなかった。
今まで、失恋で落ち込んでいる人間を傍で内心小馬鹿にしていたものだったが、どうやら改めなければならんな……
すまん、柳澤。
どのくらい待っただろうか。結構な時間を待った気もするし、案外経っていないのかも知れない。今目を開けたら、呆れてもういなくなっているのでは? と思ったその時、空気が流れた気がして俺は目を開けた。
小箱を持った右手にしなやかな指が添えられ、その髪からふわりとした匂いが鼻をくすぐってくる。そして、俺の唇に言い知れぬ柔らかいものが、そっと重ね合わされたのだった。
「はい。私でよければ……これからよろしくお願いします」
~~fin~~
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